公園の背景を調べる

何度か公園を訪れるうちに、初めに考えていたプランをやめて、ベニザクラ公園の背景を調べる方に切り替えた。この公園は、置かれた石や池など作った人の意思が強く反映されているように感じて、それを無視できないと感じたからだ。


ネットや図書館を調べてもこの公園の背景に関する情報が少ない。ここの歴史は、この公園が私設であることからもわかるように、もともと所有していたある家族の話だからだと思う。働いている方たちや、このアニュアルのスタッフに話を聞き、内部の資料を見せてもらい、普段は立ち入れない屋内を案内してもらいながら、公園を見ていく。知らない家族のプライベートを覗き見るような気まずさがある一方、情報が蓄積され、これらの情報のパズルを組み合わせて、徐々にこの公園の背景が見えてくる。見て回って感じ取ることができる公園の印象は、人々からの説明と結びつき、もっと強烈でハッキリとした像になった。

この場所は金沢から開拓期に移り住んだ奥矢家の二代目金蔵さんが1942年に山林と宅地をここに習得して移り住み、木炭をつくるなどしていたことから始まっている。1955年に公園として一般開放。その後、三代目の将雄さんに引き継がれ、金沢の兼六園を見て感動した将雄さんは1963年本格的な造園を始める。そもそも火山灰に覆われた場所で石も池もなかったそうだ。山を切り崩し、名石だけで2万トンの石を入れ、11箇所の池を手で掘り、木を植え何十年もかけてここを庭園にした。こうした背景を知りつつ公園を眺めるとものすごいエネルギーをつぎ込んだことが感じられる。現在でも公園全体は手入れされて、管理している人たちの愛着がうかがわれる。

2017年に公園の体制が新しいオーナーのもと一新している。世代交代した新しい紅櫻公園は、これまでの事業を継続しつつ、蒸溜所など新しい事業も始めている。このアートアニュアルも新しい事業の一つだ。先代の家族が強い意思で育んだこの公園で、アートアニュアルが毎年開催され個々のアーティストがそこで作品を展示している。将雄さんの巨大な作品(公園)の中で作品展をやっているように感じられてくる。

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